Translatabilityという価値基準

実験神経科学における「正しさの基準」というのはとても厳しい.それが真実に迫るためのカミソリのような正しさがあり,それは本当にすばらしい.しかしその基準を実験神経科学以外に対しても適用しようとすると,大胆な仮説の提案,実験的裏づけの取れないアイデアなどが軒並みつぶされてしまう.かといっていい加減なことをすると,なんでもありになってしまう.

どうすれば私たちは思考の自由を獲得できるか.どうすれば囚われない立場に立って思考を飛翔させるか.どうすれば自由でありながら勝手放題なジャンク研究との間に一線を引けるか.

そこで「Translatability: 可翻訳性」という価値基準を思いついた.異なる正しさ基準や価値基準を持つ人々に対して,研究動機や成果を翻訳可能であるかどうかに価値を置く.正しいかどうかに価値を置くのではなく.実際,正しいかどうか本当のところはわからない.けれども有用であることには違いない.翻訳できないということは,少なくとも他分野に対して即座に有用とは言えないということだから(もちろんその分野での価値は否定しない).