心象スケッチと脳内イメージ

宮沢賢治は「心象スケッチ」と呼んで「詩」と明確に区別していた.それはなんとなくわかったつもりになっていたけれど,実は全然わかっていなかったんだなあと思う.「心象スケッチは心のイメージをそのままスケッチする.それは比喩ではない」.という一文を読んで,「あああ,そうだったのかあっ」って思ったのだ. 風に揺れる草を「まるで鹿踊りをしているようだなあ」と比喩表現することは,「風に揺れる草」が真実で,「鹿踊りをしているようだ」という印象は虚像ということになる.しかし心象スケッチではその立場を取らない.「おお!草がみんな鹿踊りしているぞ!」と心の中で感じたのならば,その感じ方は事実であり,心の中では草がみんな鹿踊りしているのは,比喩でもなんでもなく,心の中の世界の事実.それをありのまま言葉でスケッチしたものなんだなあ......なんて思って感動していた.

こんな話をすると,研究とどこが関係するの?って思うかもしれないけれど,外の世界と脳の中の世界を行き来することは研究のメインテーマだし,外が真実,脳の中が虚という考え方では限界があることもいつも言って来たとおり.いろんなところでいろんなことが顔を出すのだ.